福岡地方裁判所 昭和36年(ワ)130号 判決 1969年12月25日
原告 阿具根登 外三名
被告 福岡県
主文
被告は原告高口ミサオに対し、金一〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三六年三月五日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告阿具根登、同吉田法晴および同下田国盛の各請求、ならびに同高口ミサオのその余の請求を棄却する。
訴訟費用中原告高口ミサオと被告との間に生じた部分は被告の負担とし、その余はその他の原告らの負担とする。
事実
第一、各当事者の申立
一、各原告等の申立
「被告は、原告下田国盛に対して金一〇〇、五八〇円、同阿具根登に対して金一〇〇、二七五円、同吉田法晴に対して金一〇〇、三七五円、同高口ミサオに対して金一〇〇、三五七円および右各金員に対する昭和三六年三月五日から完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二、被告の申立
「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」
第二、各当事者の主張
請求の原因
一、三井三池争議と警察の弾圧
三井鉱山株式会社(略称三井鉱山)は昭和三四年一月一九日に三井鉱山労働組合連合会(略称三鉱連)に鉱員約六、〇〇〇名の退職等を内容とする第一次企業合理化案を提出し、同年八月二八日にさらに鉱員四、五八〇名の退職等を内容とする第二次企業合理化案を提出した。このような三井鉱山の企業合理化計画をめぐり、昭和三四年秋ごろから三池鉱業所及び三池港務所において、いわゆる三井三池争議が激化した。ところが警察権力は三井三池争議に不当に介入し、労働組合の正当な団体行動権の行使に弾圧を加え、しばしば血なまぐさい流血の惨をみるにいたつた。三井三池争議にたいする警察権力のかかる違法不当な実力干渉が、本件の背景をなしたのである。
二、原告等の立場
原告阿具根、同吉田は日本社会党所属の参議院議員であり、三池争議に際しては、日本炭鉱労働組合(略称炭労)、三池炭鉱労働組合(略称三鉱労組)の企業整備反対斗争を全面的に支持し、大牟田市、荒尾市の現地においても、炭労、三鉱労組の争議が円滑に遂行されるように身を挺して努力してきた。原告下田は三鉱労組の組合員として、自ら三池争議に参加した。原告高口ミサオはその夫が三鉱労組の組合員として三池争議に参加しており、自らも三池炭鉱主婦協議会の会員として、右争議に参加した。
三、下田国盛事件
昭和三五年五月一二日、福岡地方裁判所所属執行吏が福岡地方裁判所の仮処分決定にもとづいて、福岡県大牟田市所在の三川坑ホツパーの周囲に板塀をつくるために三池港務所にやつてきた。この日、組合側は性急に板塀を設置することの不当を執行吏に訴え、平和的な話し合いが行われた結果、執行吏は一二日には板塀を設置しないことにして、三池港務所を引きあげた。この日の話し合いは国会議員や弁護士をまじえて平穏にすすめられたのであるが、多数の武装警察官は会社幹部の後方に陣どつて、組合のピケ隊を威圧していた。
執行吏が三川鉱ホツパー周辺から立ち去ると、ホツパーに動員されていたピケ隊員も各支部ごとに引卒されて、現場を引きあげた。そのとき、三鉱労組宮浦支部所属のピケ隊員約六〇〇名は、中央指令所を占拠している第二組合員と警察官に抗議の意思を表明するため、平穏なデモ行進を行つた。これは憲法二一条、二八条で保障された正当なデモであつた。ところがデモ隊の一部が中央指令所を過ぎ警察官詰所の近くにさしかかつたころ、詰所にいた警察官がいきなりピケ隊員数名の脇腹等を警棒で突くという事件がおこつた。ピケ隊員は突然の警察官の暴行に抗議するとともに、争いを遊けるためにその場から引返そうとしたのであるが、警察隊は組合員の反転をみていよいよ荒れくるい、デモの後尾附近(警官に近い位置)にいた組合員たちに警棒を振つて突きかかり、殴りかかつて、眼をおおうような暴行を振つた。なかんずく、原告下田にたいしては、警察官は同人の襟首をつかんで引き倒し、多人数で押えつけ、頭、顔、肩、腰、腹、下腿その他全身に突く、殴る、蹴る、踏みつける等の暴行を加え、そのため下田は安静加療一ケ月を要する全身挫傷、右前腕上歯齦顔面、右下腿擦過傷、後頭部血腫の傷害をうけた。下田は警察官の暴行によつて右のような外傷をうけたほか、そのときうけた暴行と傷害が原因になつて、体温、血圧の上昇をきたし、血尿を生じ、腹部膨満にいたり、数日間は頭痛腹痛はなはだしく、会話困難の状態にまで陥つた。そのため三池争議の重大段階において、下田は九拾日間にわたつて斗争に参加することができなくなつた。
四、阿具根登事件
昭和三五年五月一二日、原告阿具根登は三川鉱ホツパーの近くに来ていた。執行吏が前項記載のような事情でホツパーを引きあげ、ピケ隊も解散をはじめたので、阿具根も他の組合幹部とともに三鉱労組三川支部事務所に引きあげようとしていた。ところがそのとき、警察隊がピケ隊に襲いかかつて負傷者がでたという情報が伝わつてきた。情報を耳にした阿具根は、紛争解決にあたるために、直ちに大牟田市三池港務所港駅倉庫(当時警察官が宿泊所に使用していた)横附近にかけつけた。そこで阿具根はピケ隊のなかに入り、紛争の解決に努力したが、近くにいた警察官約六〇名はやにわに阿具根をとりかこみ、「阿具根がナンダ」、「国会議員がナンダ」などと暴言をはきながら多衆で阿具根を押しまくり、殴る、突く、蹴る等の暴行を加え、その場に倒された阿具根にたいして、さらに殴る、蹴る、踏む等の蛮行を加え、そのため阿具根は治療三週間を要する右前額部左下腿打撲擦過傷の挫創をうけた。
五、吉田法晴事件
原告吉田法晴も昭和三五年五月一二日の三池港務所附近における組合員と警官隊の紛争(第三項記載のとおり)のとき、事態収拾にあたるために前記中央指令所附近に行つた。そして道具置場と自転車置場附近の間附近で警官隊の責任者をさがし求め、ようやく福岡県警ら機動隊隊長長末清を発見したので、同人の乗つている指揮車に近づこうとした。ところがそのとき、附近にいた警察官約四〇名は吉田を取りかこみ、指揮車の方に引つぱりこんで、殴る、蹴る、突く等の暴行を加え、さらに数名の警察官は警棒で吉田をこずきあげ、そのため吉田は全治二週間を要する右腸骨部挫傷、左示指挫創の傷害をうけた。
六、高口ミサオ事件
昭和三五年七月二三日午后七時三〇分ごろ、大牟田市勝立町勝立派出所前道路上において、三鉱労組組合員山下勉が同派出所勤務の巡査森山次男及び岡村澄男に逮捕され、パトロールカー(福8E10337)に収容されようとした。そこに居合わせた組合員は、山下勉が逮捕されるような行為をしていないことを知つていたので、その場で警察の不当逮捕に抗議した。ところがすでにパトロールカーに乗つていた岡村澄男巡査は、やにわに車上から所携のレボルバー三八口径連発短銃をかまえ、短銃を発射すべき正当な理由がないのに実弾一発を発射した。ついで岡村巡査は、山口警部が、「ピストルは止めろ」と叫んで制止するのも聞き入れず、ジープから身を乗りだし、「殺してやる」と怒号しながら、ほぼ水平に短銃をかまえて、実弾二発を発射した。岡村巡査の発射した三発の実弾のうちの一発は、そこから約五〇メートル離れた地点(高さはジープの地面から約九メートル高)にいた原告高口ミサオに命中し、高口の左上腕三角筋部に全治一〇日間を要する挫傷を与えた。
七、警察官の不法行為と被告の賠償義務
原告阿具根、同吉田、同下田に暴行を働いて傷害を与えた警察官の行為は、警察官の正当な職務執行の範囲をはるかに超えた不法行為であり、右三名の原告は、警察官の不法行為のために、前記のとおりの傷害を加えられた。
岡村巡査のピストル発射は、ピストルを発射すべき場合でないのにピストルを発射し、かつピストル発射の方法も危害を避けるべき注意義務に違背してなされており、そのため罪のない高口ミサオに負傷を与えたのであるから、これが故意もしくは過失による不法行為であることはいうまでもない。
しかして、右のごとき不法行為を働いた警察官はいずれも福岡県の経費支弁によつて維持されている者であり、右警察官の不法行為によつて発生した損害は、すべて被告福岡県が賠償の責を負つているものである。
八、原告等の損害
被告福岡県が経費支弁すべき警察官の不法行為によつて原告等がこうむつた損害のうち、治療費、診断書作成費が原告阿具根について二七五円、同吉田について三七五円、同下田について五八〇円、同高口について三五七円であり、原告等がこうむつた精神的打撃にたいする慰藉料は、各原告について一〇万円以上である。よつて原告等は右損害のうち、請求の趣旨記載の金額および右にたいするそれぞれ本訴状送達の日の翌日たる昭和三六年三月五日より完済迄年五分の割合による金員の支払を求めて本訴を申立てる。
請求の原因に対する答弁
一、請求原因第一項記載事実中
冒頭より第六行目「いわゆる三井三池争議が」行われたことまでの主張事実は認めるがその余の事実は争う。
二、同第二項記載事実中
原告阿具根、同吉田が日本社会党所属の参議院議員であること。原告梅花、同古賀が三鉱労組の組合員として自ら三池争議に参加したこと。原告高口ミサオの夫が三鉱労組の組合員であることは認めるがその余の事実は不知。
三、同第三項記載事実中
昭和三五年五月一二日福岡地方裁判所執行吏が、福岡地方裁判所のなした仮処分決定に基く執行処分決定に基き、原告主張の場所に板塀を設置するため三池港務所附近に赴いたこと及び組合側の阻止により当日右決定の執行がなされなかつたことは認めるが、その余の主張は全部争う。
四、同第四項記載事実中
原告阿具根登が昭和三五年五月一二日午後六時三〇分頃三池港務所港駅近くの機電係運転手控室附近にいたことは認めるが、その余の主張事実は全部争う。
五、同第五項記載事実中
原告吉田法晴が昭和三五年五月一二日午後六時三八分頃前記機電係運転手控室の近くにいた事実及びその附近に駐車していた指揮官車に乗つていた長末清隊長と会つて話をした事実のあることは認めるが、その余の主張事実はすべて争う。
六、請求原因第六項記載事実について
三鉱労組々合員山下勉が原告主張の日時頃、大牟田市勝立町勝立派出所前道路上において、同派出所勤務の巡査、森山次男によつてパトロールカーに収容されようとしたこと、そのころ三鉱労組員がパトロールカーの周囲に集り右山下が逮捕されているものと誤解し不当逮捕である旨抗議したこと。
岡村澄男巡査が、右パトロールカーの中から、拳銃を計三発発射したことは認めるが、その余は争う。
七、請求原因第六、第七項記載の主張事実は全部争う。
八、本件損害賠償請求の原因として、原告阿具根登等がいずれも警察官の不法行為によつて傷害をうけそのため損害を蒙つたと主張しているが、事実はこの主張と全く反しており、警察官の職務執行にはいささかの過失もないものであるから被告福岡県としては不法行為としての責任を負うべき筋合いのものではない。
その理由を個別にのべれば次のとおりである。
(一) (下田国盛事件)
原告は「平穏、正当なデモ行進を行つているとき、詰所にいた警察官がいきなり同人の襟首をつかんで引き倒し、多人数で押えつけ全身に突く、殴る、蹴る、踏みつける等の暴行を加えたため、安静加療一ケ月を要する傷害を受けたほか、この暴行、傷害が原因となつて九〇日間にわたつて斗争に参加できなかつた。」と主張するが、事実は全くこれに反しているものである。
すなわち昭和三五年五月一二日午前九時三〇分ごろ、福岡地方裁判所所属の執行吏が三川鉱ホツパー周辺に板塀を設置するため三川港務所の現場に到着したが、旧労側は約四、〇〇〇人の組合員を動員してピケを張り実力で仮処分の執行を阻止するという威圧的な行動に出たが、その組合員の服装は鉄カブト、覆面姿で各自青竹や棍棒を持ちものものしい雰囲気に包まれた。
このような情勢のもとで、警察官としては裁判所執行吏の職務執行に対して旧労側が実力阻止の行動に出ることで紛争が生じ、生命、身体に危険があると判断し、執行吏からも警察に対して警備の要請があつたので現場附近に警備部隊を出動させ、不法行為の防止につとめていたものである。
旧労側は執行吏一行に対して、ことさらに面談を要求し時間の引き延しを図つたため、同日午後五時二五分ついに執行吏は仮処分の執行ができず引きあげるの止むなきに至つたが実力で阻止するという目的を達した旧労側は気勢をあげて港務所内の波状デモに移つた。
当時警察官が警備配置についていた港務所内第六大隊検問所は巡査部長篠塚武蔵ほか九名が勤務についていたが、旧労側デモ隊は検問所前を通過すると見せかけて突如衆をたのんで検問所正面で立番中の警察官一〇名に襲いかかり、棍棒や青竹で殴る、突く、石を投げる等の攻撃を加えたため警察官七名が重軽傷を負い、検問所の建物を一部損壊するという不祥事案が発生した。
このため港務所附近を警戒中の警備部隊第六大隊はただちに検問所に急行し、検問所勤務の警察官を救い出そうとしたが、旧労側の動員によつて阻止され事態はますます急迫したので警察は急拠救援部隊を出動させなければならない事態となつたがデモ隊の攻撃はなお激しさを増し警備部隊に多数の負傷者を出すという最悪の事態に発展した。
原告下田はこのときの旧労側デモ隊員の一人であるが、警備部隊の花田赫敏巡査の左足向脛を二回にわたつて強く蹴るとともに警棒をつかんでデモ隊の方に引きずりこもうとしたので公務執行妨害の現行犯として逮捕しようとしたとき、逮捕を免れんとしてもがきながら逃げ現場にあつた材木の上に倒れたもので、周辺にいたデモ隊員が警察官の逮捕行為を妨害して原告梅花の手足や衣類をつかんで労組側に引きずりこもうとしたので原告下田を中に現場が混乱し、デモ隊は集団の力で警察官に暴行を加えるという不法行為にでたものである。この事実の如く原告下田自らが不法行為者であるから逮捕されることは当然であつて、警察官の当然の職務執行を妨害し、かつ、進んで攻撃を加える行動に出たデモ隊の無秩序、無法状態こそ非難さるべきものである。この間の事情は原告下田に対して大牟田区検察庁が昭和三五年九月四日公務執行妨害罪につき起訴猶予の処分を行つている事実からしても歴然たるものである。
このように警察官は正当な職務権限にもとづいて忠実に職務を執行しておりいささかも過失あるものではないから責任を負うべき筋合いではない。したがつて、その責任を求めるとすれば故意に不法、無法の混乱状態をつくり出し警察官の職務を妨害し攻撃を加えた労組側こそその責を負うべきものである。
(二) (阿具根登事件)
原告阿具根登は、「昭和三五年五月一二日三池港務所附近において、労組側ピケ隊と警官隊の紛争解決に努力中、近くにいた警察官約六〇人がやにわに原告を取り囲み暴行を加え、倒れた原告に対して殴る、蹴る、踏む等の蛮行を加え、治療三週間を要する傷害を受けた。」と主張するが、この間の事情は以下申述するとおり警察官の暴行に基因するものではない。
原告阿具根は、当時労組側デモ隊が三池港務所第六大隊検問所を不法襲撃した際、公務執行妨害の現行犯人として逮捕された原告の一人である下田国盛の釈放を要求する意図をもつて警察部隊の指揮官長末清と折衝するため機電係室横附近において吉田法晴(原告)等と行動を共にしていたものであるが、機電係室横附近においては、警察部隊の制止行為を妨害する労組側との間に小ぜり合いが起り、双方とも数名の者が溝に足をとられるような状況で将棋倒しとなつたが、原告阿具根は赤タスキを掛けてその現場にいた。
この小ぜり合いの渦中に労組側の後方から石が投げられ、また機電係室屋上からも屋根瓦が投下されるという険悪な状況下で投石を避けて軒下に退避していた原告阿具根に対して、証人宮原義光巡査が投石行為をやめさせるよう要求したので、原告阿具根は軒下から二、三メートルくらい先に出て労組側に手をあげて投石をやめるよう呼びかけた。このとき労組側の投石が原告にあたつたものであり、またその直後軒下附近から出て来た原告が額から血を流していたことは右事実を証明するものであつて警察官が原告に対して暴行を加えた事実は全くない。
このように原告阿具根は、旧労側デモ隊の検問所襲撃事件に際して現場にきていたものであるが、原告阿具根が当時参議院議員であつたとしても三池争議についてはいわゆる第三者であり事件とは何等関係がなく、格別現場の事態収拾についても権限がないものであるから現場の状況等に十分注意して危険が予測される場合は自から退避する心がけが必要であるにもかかわらず現場にいたものであるから、旧労側の投石等によつて傷害を受けたとすればその責任は旧労側に求めなければならないものであり、ひいては原告自身もその一半の責を負うものと考える。
(三) (吉田法晴事件)
原告吉田は、「三池港務所附近における組合員と警官隊との紛争の事態収拾にあたつた際、警察官約四〇人が取囲み指揮官車の方に引つ張り込んで殴る、突く、蹴る等の暴行を加え全治二週間を要する右腸骨挫傷、左示指挫創の傷害を受けた。」と主張するが、この間の事情は、以下申述するとおり警察官の暴行に基因するものではない。
原告吉田は、前項阿具根登の事件関係で述べたとおり労組側デモ隊による三池港務所第六大隊検問所不法襲撃後本件原告の一人である下田国盛の身柄釈放を要求して現地に来ていたものであるが当時、現地のデモ隊は警察部隊に対し激しい投石、屋根瓦の投下などで妨害行為をなし、この不法越軌行為を制止する警察部隊との間に小ぜり合いが起つていた。
このような状況のなかで、警察官から「国会議員であれば投石をやめさせてくれ。」との要求を受けた原告吉田は、阿具根登(原告)とともに、労組に投石をやめさせるよう制止し、ようやく投石が少なくなつたころ、倉庫東側附近でこの紛争の際負傷した阿具根登から「あとは頼む。」旨の依頼を受け直ちに長末警視に折衝を求めるため川上文夫警部に長末警視の所在を質問した時点では左手の甲のつけ根附近を負傷しており、同警部から指摘されたものである。
そのあと、川上警部の教示によつて長末警視の乗車する指揮官車の方へ行き原告の呼びかけで指揮官車から降りた長末警視と事態収拾について話し合い警察部隊、労組側とも責任者の指示に従いそれぞれ集結した後再び原告が指揮官車の後方にいた長末警視のところに来て検挙者の釈放を要求したので午後五時一七分ごろ原告および当時の成瀬参議院議員の三人が指揮官車の中で平穏に話し合いを行つたものであり、警察官が原告吉田を指揮官車の方に引つ張り込んで暴行を加えた事実は全くない。
かりにそのような事実があれば原告は長末警視に当然抗議すると思われるがそのような言動は全くなく身柄釈放の要求に終始している事実からしても本件主張の事実がないことが窺える。
したがつて原告が負傷したとすれば常軌を逸して不法行為を敢行するデモ隊を制止する過程において労組側の投石、竹棒等の攻撃によつて受けたものである。
(四) (高口ミサオ事件)
事案の発端は訴状にあるような三鉱労組員を不当逮捕したことによるものではない。事実は訴外山下勉が泥酔して大牟田市馬渡の検問所にきて、勤務の警察官に因縁をつけ、つかみかかるなどの行為に出たので、この状況を見た隣接の勝立派出所勤務の森山巡査等が山下を制止しようとしたところ、警察官の胸倉をつかんだり、蹴るなどして暴れるので警察官職務執行法第三条第一項第一号にもとづき同人を泥酔者として保護する必要を認め勝立派出所に同行したが、なおも派出所内の机等を蹴る等して乱暴をつづけ自己および他人に危害をおよぼすおそれがあつたので戒具として手錠を施し大牟田警察署において保護するのが適当であると判断し、パトカーに収容したものである。
ところがこのころになつて多数の三鉱労組員がパトカーの周囲に集り山下が山口清警部ならびに浜地貢巡査らによつて逮捕されているものと誤解して奪い返そうとし、パトカーの前に立ち塞がり出発を阻止したので、同乗していた前記山口警部が泥酔者の保護であることを大きな声で説明したにもかかわらず統制のない労組員は全く聞き入れようとせず不当逮捕であるとなじつている間に緊急に動員された三鉱労組員が続々と集り三〇〇人以上となつた。
これ等群集となつた労組員は口々に不当逮捕であると叫びながら、パトカーの周囲を取り巻き、たづさえた棍棒で車体を叩き多数の力で車体を左右にゆさぶり「火をつけて焼け」、「ひつくり返せ」、「叩き殺してしまえ」と口々に叫びながら全くの暴徒と化した。
このような状況のなかで運転席にいた前記浜地巡査は労組員によつて引きずり出され、山口警部も車体の動揺によつて引きずり出されるようにして助手席から転落したがさらに労組員は後部座席の岡村巡査ならびに森山巡査を棍棒で突き森山巡査の足をとり車外に引きずり出そうとしたが同巡査等は引きずり出されたら殺気立つている労組員に殺されてしまうと必死になつてこれを防いだ。その時岡村巡査のけん銃に労組員が手をかけて奪おうとするので生命の危険を感ずるとともにけん銃の奪取を防ぐためにはけん銃を使用する以外にないととつさに判断して「どかないと撃つぞ」と二回にわたり警告したが労組員はますます激昂して同パトカーから引きずり出そうとするので上半身を車外に乗り出すようにして銃口を上空に向けて一発威かく発射したがなおも攻撃が続けられるので引き続き二発上空に向けて威かく発射したものである。このけん銃の使用は警察官職務執行法第七条の使用条件に適合し、発射するについても三発とも警告し、しかも上空に向けていたもので、けん銃を使用する場合の注意義務にも違背するところはなく、正当な職務行為である。
原告高口はけん銃が発射された現場から約七〇メートル離れた崖の上に立つてこの騒ぎを見ていたということであるが、負傷したことについて積極的に届出ないばかりか、当日相当時間が経過してから原告高口が負傷したらしいとの風評があつたので、大牟田警察署員が負傷のもようを見せてもらいたいと自宅を訪れたにもかかわらず会うのを拒否しており、被告としては原告が負傷したとしても負傷が原告主張の如き原因に基づくものとは信じ難い。
かりに、けん銃による負傷であつたとしても、当時の状況は労組員等多衆の集団暴行の渦中多数により車体をひつくり返そうと揺り動かされていた車上の発射行為であり、岡村巡査としては警告を与えた後銃口を上空に向け発射し、でき得る限りの注意義務を尽した上でのけん銃使用であるから、このような状況のもとにあつた警察官に更に一層の注意を払い周囲の安全を確認することを要求されることは不可能であつてこの点に過失の責を負うものではない。
第三、証拠<省略>
理由
一、三井鉱山が、昭和三四年一月一九日に三鉱連に鉱員約六、〇〇〇名の退職などを内容とする第一次企業合理化案を提出し、同年八月二八日に更に鉱員四、五八〇名の退職などを内容とする第二次企業合理化案を提示したこと、このような三井鉱山の企業合理化計画をめぐり昭和三四年秋頃から三池鉱業所および三池港務所において、いわゆる三井三池争議が行なわれたこと、原告阿具根および同吉田が日本社会党所属の参議院議員であること、原告下田が三鉱労組の組合員として自ら三池争議に参加したこと、原告高口ミサオの夫が三鉱労組の組合員であること、昭和三五年五月一二日福岡地方裁判所執行吏が、同裁判所の仮処分決定に基く執行として、大牟田市内の三川坑ホツパーの周囲に板塀を作るため、三池港務所附近に来たが、組合側が反対したため当日の執行はなされなかつたことは、当事者間に争いがない。
二、原告下田国盛の請求について
証人松本正久の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の四、同第四号証の三によれば原告下田が右同日原告主張(全身打撲傷兼右前腕上歯齦顔面右下腿擦過傷等)の加療約一ケ月を要する負傷をしたことが認められる。
そこで以下警察官の暴行の有無および右負傷との関係について判断する。
成立に争いのない乙第四号証、同第五号証の二、証人永田米夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証の一三、一七乃至一九、証人柿添博の証言により真正に成立したものと認められる同号証の一四乃至一六、二一、証人坂口一雄の証言により真正に成立したものと認められる同号証の二〇、右各証人、および証人瀬本巌、同浦本明、同兼屋重夫、同田中進四郎、同篠塚武蔵、同花田赫敏、同田島秀夫、同原野孝弘、同長末清、同宮崎政次、同岩本常夫の各証言ならびに第一回検証および証拠保全による検証の各結果を綜合すれば、
当時、ホツパーベルトコンベアーの試運転を強行しようとする気配を見せる会社側および争議に反対して強行就労しようとする三池炭鉱新労働組合(新労組と略称)に対し、三鉱労組は支援団体の応援を得てピケツトラインを強化し、連日のように大量動員によるデモ行進を行い、その対立は激化し緊張状態にあり、次第に尖鋭化していた三鉱労組側では、双方の衝突を予防、制止するため福岡県警三池争議警備本部から派遣されて警備に当つていた警察部隊に対しても反撥する感情が増大しつつあつたこと、同年五月一二日には執行吏が仮処分決定による立入禁止区域の板塀等設置の実施をとりやめて午後五時二〇分頃引揚げたため、当日の港務所周辺の緊張状態は一応緩和の方向に向い、デモ隊も引揚を開始し、その大半が現場を立去り、警備の警察部隊の大部分もすでに引揚げた午後六時過頃、当時警備のため港務所内に駐留していた警備連隊第六大隊が検問所として使用中の着到所建物において同大隊所属の警察官一〇名位が立番中、附近に残存してデモ行進を続けていた三鉱労組員の一隊は警察に対する反感を暴発して蛇行デモを行いながら、検問所軒下に並んでいた右警察官等に接触し、勢いの赴くまま圧倒的多数をもつて少数の警察官を襲つてデモ隊中に巻き込み、検問所に押し寄せてその入口ガラス戸も破損するなどの事態が突発したこと、その時同大隊を主力とする残存警察部隊は検問所から離れて、会社職員および新労組員の立てこもる港駅中央制御室周辺に集結していたが、右事態を知つて急拠救援のため検問所に走り、近辺のデモ隊も各方面から集つて一時、東南側から北側にかけて検問所に押し寄せ包囲する形のデモ隊と、これを阻止する警察部隊の押し合いの状態を生じたこと、その際警察隊はおおよそ検問所表入口からその東北方建物(ピンポン室等)南端にかけての東南側に面する阻止線と、右建物とその西側建物(大工場等)との間にかけて北側に面する阻止線とを設け、それぞれの二方面でデモ隊を阻止したのであるが、三鉱労組港務所支部に属する行動隊員であつた原告下田国盛(当時梅花姓)は、前記検問所襲撃の事態発生の際にたまたま港駅西側より前記ピンポン室等建物と大工場等建物の中間を検問所前方向に進行中であつた同支部デモ隊の先頭附近にあつて、同デモ隊が警察隊の前記北面阻止線と衝突してこれを破ろうとして押し合いとなり、押されて後退する際、ピンポン室等建物の軒下附近で同原告は、前面していた同大隊第三中隊所属の巡査花田赫敏の左脛を足蹴りし、かつ同巡査の所持する警棒を握つてデモ隊側に引き寄せようとしたため、同巡査から現行犯逮捕する旨告げられるとともに片脚をかかえられ、後方へ逃れようとして右建物軒下辺に建物に沿つて積んであつた丸太の上に倒れ、同巡査も同原告の上に折重なつて倒れたところ、同巡査に協力して同原告を逮捕せんとする警察隊員とこれを妨害して同原告を救助しようとするデモ隊側との双方間で同原告の身柄の争奪が行なわれ、同原告自身も極力逮捕に抵抗したが、結局警察隊の中に引きずり込まれて逮捕され、検問所内に拘束されたことが認められ、従つて、同原告の前記負傷は右警察隊との衝突、押し合いから逮捕に至る間に受けたものであると推認しうるところである。
右認定の事実によれば、同原告の負傷については、右一連の経過のうち具体的に何時の時点に如何なる内容の受傷をしたかは明確ではなく、その相当部分が逮捕に際し生じたものと推測されるところであるけれども、同時に、警察官の同原告に対する現行犯逮捕行為自体は適法と認められるところであり、右逮捕に当つた警察官が職務執行に当り正当な実力行使の限度を逸脱した違法の暴行行為に出た事実を認めるに足る証拠はないから、逮捕に対する同原告の反抗や他のデモ隊員の妨害その他前示逮捕時の状況に照らし、同原告の負傷はみずから招いたものとして受忍すべきものというほかはない。
もつとも、この点に関し、原告本人下田尋問の結果中には右警察隊との接触の際、同原告が逮捕される理由がないのに警察官から一方的に殴る蹴るの暴行を受けた旨の部分があり、証人瀬本巌、同浦本明、同兼屋重夫の各証言中にも同趣旨の部分があるが、右各供述部分はその余の前掲各証拠に照して俄に信用できない。
よつて原告下田の本訴請求は理由がない。
三、原告阿具根登の請求について
原告阿具根登が原告主張の頃、三池港務所港駅近くの機電係運転控室附近に居たことは当事者間に争いがない。
証人松本正久の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の五、同第四号証の一によれば、前同日原告が右前額部、左下腿打撲擦過傷を負い、当日及び翌々日医師の診療を受け、約三週間の治療を要するとの診断を受けたことが認められる。
そこで以下警察官の暴行の有無および負傷との関係について判断する。
前認定に供した各証拠のほか、証人永田米夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証の二二、第八号証の一、二〇、証人秋吉守の証言により真正に成立したものと認められる同号証の三、六ないし一三、一五、一六、証人山下勝森の証言により真正に成立したものと認められる同号証の四、五、一七、一八、二二、二七、三一ないし三三、証人坂口一雄の証言により真正に成立したものと認められる同号証の一四、二一、二四、二九、証人柿添博の証言により真正に成立したものと認められる同号証の一九、右各号証により真正に成立したものと認められる同号証の二三、右各証言、証人森和敏、同福元幸雄、同原田実、同稲富直、同宮原義光、同柴藤貞行、同豊富俊作、同田辺恒一、同竹口光雄、同川上文夫の各証言及び原告阿具根、同吉田各本人尋問の結果を綜合すると、前示の検問所前における衝突の直後、すでに立去つていたデモ隊が原告下田の逮捕を伝え聞いて続々と港務所内に引返してきたため、警察部隊は検問所とともに包囲された状態となり、一方警察側も急を聞いて再出動の指令が発せられ、先ず機動隊中隊が港駅西側に到着して、さらに北方より集合しつつある多人数のデモ隊を阻止するため、検問所北方の機電係運転手控室の建物(以下機電係建物と略称)から、同建物南側に沿つて走る側溝沿いに、港駅裏にかけて北面の阻止線をつくるとともに、その南側前記ピンポン室等建物と大工場等建物との間に、その南方に居る前記港務所支部等所属のデモ隊員に対する南面の阻止線を設けたこと、その頃警備連隊長長末清警視の乗る指揮官車が西側から機電係建物南側にある大工場等建物との空間に乗り入れ、長末隊長はここで指揮をとるに至つたが、後続の警察部隊第一大隊がややおくれて西側から到着したときは、機電係建物東側のデモ隊からの投石を受けていた指揮官車との間を西側デモ隊に遮断された形状となつたので、直ちに同大隊は右デモ隊を機電係建物とその西側自転車置場との間の通路から北側へ排除すべく行動を開始し、組合員の逮捕、負傷の報に激していたデモ隊員との押し合いになつたこと、これより先、日本社会党から派遣された国会議員団の一員であり、かつ三鉱労組の上部組織である日本炭鉱労働組合の政治局員であつた原告阿具根は、三鉱労組の争議支援のため国会議員であることを表示した赤色の襷をかけて三池港務所に来ていたが、一旦引揚げた後前記の警察部隊と労組員との衝突の報を受けて引き返し、右第一大隊到着の直前、原告吉田法晴らと共に、原告下田国盛の釈放を要求するため警察部隊指揮官を訪ねるべく指揮官車西側近くまで来たところ、その直後に右警察部隊による排除行動が開始されたので、原告阿具根は警察隊と接触しているデモ隊の前面に出て押し合いの渦中に入つたこと、右排除行動開始後間もなく前記機電係建物西南側の側溝附近で前面のデモ隊と接触していた同大隊第一中隊所属の警察官宮原義光巡査が二、三のデモ隊員から警棒を握られて引つ張られ、これを引き戻すについて傍に居た同僚の豊冨俊作巡査や田辺恒一巡査らの応援が加わつて引き合いとなつたこと、その際原告阿具根は、右デモ隊員に加勢し豊冨巡査らの行動を妨害してもみ合い中、側溝に足をとられてデモ隊員や警察官ら数名とともに倒れたことがあり、その後、デモ隊員とともに後退し、警察部隊が機電係建物西側の前記通路から北側へデモ隊を押し出して行く際、同建物北側からデモ隊員が行つた右通路及びその南側方向への激しい投石を避けて同建物西北側軒下に退避したこともあつた後、警察隊の排除方向とは逆の南側へ抜け出た原告吉田とは別行動をとつて、原告阿具根は同建物北側へ出たこと、その附近へ押し出されたデモ隊は、港駅西側に多数集合してその南側の前記機動中隊と対峙していたデモ隊員や機電係建物の屋根に上つていた一〇名位のデモ隊側写真班員が行う激しい投石による支援に、一時勢いを盛りかえし、竹棒を振るつて警察部隊に反撃を加え、警察官をひるませ、一進一退をくり返したこともあつたが、その際、機電係建物北側軒下やや港駅寄りにあるコンクリート製箱の石炭置場の蔭に立てかけられた机を盾にして投石を避けていた原告阿具根は、同所に退避してきた宮原巡査ら数名の警察官から、デモ隊の指導的立場にある者として投石の不法を抗議され、同原告みずからその場を出て、港駅裏のデモ隊に向つて、その投石を制止しながら、投石の中を進んだ結果、投石もおさまり、事態は小康状態に入つたが、右制止の際デモ隊の投石が同原告の右前額部に当つたため前示同部打撲擦過傷を被つたこと、その後間もなく、原告吉田と長末警備連隊長との話し合いの結果、事態は平静に帰するに至つたことが認められ、また、前示右下腿部打撲擦過傷については、いずれの機会に受傷したのかは明確ではないが、前記指揮官車西側における警察隊との接触以後右投石制止の時期までの間の受傷と推認されるところ、その間、想定される最も蓋然性の高い受傷原因は、当該傷の内容から見ても、機電係建物西南方で側溝に足をとられて他の数名とともに倒れた際溝の縁石に脚を当てたことと、同建物北側でデモ隊を制止中に投石を脚に受けたことの二つであるが、いずれも、右前額部の負傷とともに、警察官の暴行による負傷とは証拠上認め難い。
もつとも、原告阿具根の本人尋問における供述中、側溝附近での警察官とのもみ合いの際、足を踏んだり蹴つたりされたといい、石炭置場の陰において二〇人位の警察官に取り囲まれ、打つたり踏んだり蹴つたりされたうえ、両手をうしろに捻じ上げられて投石中に突き出されたという部分があるが、いずれも、負傷との関係で内容的にあいまいな供述で、殊に後者は、衆人環視の投石の中で行なわれた事実の供述としては合理性を欠くものであり、証人福元幸雄、同百武昭の各証言における、側溝附近で同原告が警察官らとともに倒れた際、警察官から暴行を加えられた結果、同原告の右前額部に出血を生じたのを機電係建物屋根上から目撃した趣旨の供述部分とともに、これらの供述部分は、三池鉱業所の下請作業会社の従業員で石炭置場の陰で同原告の傍に居り、同原告の状況や行動を身近かに目撃した証人竹口光雄の証言、前掲宮原、豊冨、川上証人の各証言及び前掲乙号各証の写真に照し信用できない。さらに、デモ隊の写真班であつた証人福元幸雄、同百武昭がいずれも原告阿具根が警察官から暴行を受けた事実を目撃したと言い乍ら右暴行を示すそれ自体の写真は右両名いずれもフイルムが切れて入れ替えていたゝめ撮影しなかつたと称し、また他にもデモ隊側写真班員が多数機電係運転手控室の屋根やその南方空地の鉄板積などの上で写真撮影をしていたことは前掲乙第八号証の一乃至三により明らかに認められるのに、同原告に対する暴行の事実を示す写真は証拠として一つも提出されていないのであつて、このことは同証人らの供述及び同原告本人の供述が信用し難いものであることを示すものということができる。同様に措信し難い原告本人吉田法晴尋問結果中の供述部分を措いては、他に原告阿具根主張事実を認めるに足りる証拠はない。
よつて原告阿具根の本訴請求は理由がない。
四、原告吉田法晴の請求について
原告吉田が原告主張の頃、前記機電係運転手控室の近くにいたこと、ならびにその附近に駐車していた指揮官車に乗つていた長末清と会つて話をしたことは当事者間に争いがない。
証人松本正久の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の二同第四号証の二によれば原告が前同日右腸骨部挫傷兼左示指挫創の負傷をし、その翌々日医師の診察加療を受け約二週間の治療を要するとの診断を受けたことが認められる。
そこで以下警察官の暴行の有無および右負傷との関係について判断する。
叙上の認定に供した各証拠を綜合すれば、当時原告吉田も社会党国会議員団の一員として三鉱労組を援護するため原告阿具根同様の襷をかけて三池港務所内に来て、当初前示のように原告阿具根と行動を共にしていたものであるが、前認定の経過により機電係建物南西側における警察部隊(第一大隊)のデモ隊排除行動開始の際、原告吉田はデモ隊前面で警察官と接触し、押し令いの渦中に入つたこと、警察隊が機電係建物西側通路を北へデモ隊を押し出して行つた際、原告吉田は同建物の西北角軒下附近にデモ隊の投石を避けな後、同所で原告阿具根と別れて南方へ引返し、混乱の場を脱出したこと、その後、原告吉田は単身で指揮官車へ赴き長末隊長に原告下田の釈放を要求し事態収拾の折衝をしたが、そうするうち全般的に混乱状態がおさまつて、警察部隊とデモ隊の双方が固定した対峙状態に入り、その後他の社会党所属国会議員もまじえて何回か交渉の結果、話し合いがまとまり、事態は解決したことを認めることができる。
右事実によれば、原告吉田の前記負傷は、指揮官車西側における警察官のデモ隊排除行動が開始されて、警察官と接触して以降原告阿具根と別れて引返えし南側へ脱出するまでの間に受けたものと認められるところであるが、その間のいずれの時点で受けたものであるかを確認しうる証拠はなく、その受傷原因について、同原告は、本人尋問において、右排除行動開始の頃前記側溝附近で警察官に暴行を受けて受けた傷であるとし、甲第三号証の一、二の写真はその折の写真である旨供述するけれども、前掲乙第八号証の一ないし一〇、証人猿渡守(甲第三号証の一、二の撮影者)及び同川上文夫の各証言によれば、右写真(甲第三号証の一、二)は、同原告が前記混乱の場を脱出後、最初に単身で前記交渉のため指揮官車の長末隊長と会見に来た時のもので、同原告自身の供述による受傷の時を含む前認定の受傷の時期とは、機会を異にすることは明らかであり、のみならず、右最初の会見の折は、同原告は指揮官車東側の前記機動中隊の二つの阻止線の中間を通つて東側から指揮官車所在場所へ赴いたものであるところ、右阻止線の中間を通る時に同原告と言葉を交わした機動隊中隊長川上文夫が、すでに同原告の左手指に出血のあることを目撃していることが認められるし、右甲第三号各証の写真自体も、同原告が前示負傷の原因となるような暴行を受けている写真とは断定し難いところであり、同原告自身の供述に係る受傷原因たる暴行自体の内容も明確でないから、右供述は措信できないし、また前示負傷の内容及び程度に照らしても、前記排除行動に当り警察官の正当な実力行使の限界を超えた違法な暴行による負傷であるとは証拠上認め難い。
よつて原告吉田法晴の請求は理由がない。
五、原告高口ミサオの請求について
三鉱労組員である訴外山下勉が昭和三五年七月二三日午後七時過ぎ大牟田警察署勝立巡査派出所前路上で同派出所勤務の巡査森山次男および同岡村澄男によつてパトロールカーに収容されたこと、三鉱労組員が右両巡査の行為を不当逮捕である旨右巡査らに抗議したこと、右岡村巡査が拳銃を計三発発射したことは当事者間に争いがない。
証人松本正久の証言、同証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証の五、同第四号証の四によれば、同日午後八時二〇分以前に原告高口が左上腕(三角筋部)挫創の負傷をしたことが認められる。
成立に争いのない乙第九号証、証人川口昭子、同森山次男、同浜地貢、同山口清、同岡村澄男、同松本正久、同鶴田とみ子、原告高口本人尋問の結果ならびに第二回検証の結果を綜合すれば、右山下が森山巡査らによつてパトロールカーに収容されたのは、山下が同日夕刻泥酔して、大牟田市勝立町所在の勝立派出所横に三池争議に関連して設けられた警備用の検問所に来て、勤務の警察官に因縁をつけ、つかみかゝるなどの行為に出てこれを制止しようとした岡村巡査らに対し、胸ぐらをつかんだり蹴るなどして暴れたので、同巡査らは山下を休息鎮静させて酔いをさまさせるため同派出所内に連れ込んだが、同人がなおも同派出所内で机を蹴るなどして暴れ、住所氏名を問われても答えるのを拒否する状態だつたので森山巡査らは、山下が自己および他人に危害をおよぼすおそれがあるものと判断し、戒具として手錠を施したうえ、大牟田警察署において保護すべく、護送用のジープ型のパトロールカーの派遣を得て、後部座席に山下を収容し、岡村、森山両巡査も護送のため同乗したこと、その際これを見て山下が逮捕されているものと誤解した数名の三鉱労組員は当時の警察に対する対立感情もあつて、不当逮捕であるとして抗議をするとともに他の組合員の動員を求め、これに応じて三鉱労組員が続々と集つて覆面をしたり木刀ピツケル等を携えたりした者をまじえ数百名の群衆となり、これら労組員は口々に不当逮捕を唱え、あるいは「殺してしまえ」「火をつけろ」などと叫びながらパトロールカーの周囲を取り巻き説得しようとした助手席の山口警部の言葉にも耳を藉さず、車体周辺に居た者達は棍棒で車体を叩いて車体や窓硝子、ライト等に損傷を与えたり、力を合わせて車体右側を上げて落とす方法で車体を左右に動揺させたりするとともに、後尾扉から岡村、森山両巡査を引きずり出そうとし、ついに山口警部は車外に転落し、労組員により運転席に居た浜地巡査は引きずり出され、山下も車外へ連れ出されたが、昂奮していた労組員らはなおも後部座席の岡村、森山両巡査を車外へ引きずり出そうとしたこと、この様な状況の中で岡村巡査は、同巡査の拳銃に労組員の手が触れたことから、生命の危険を感じ前記派出所内へ逃げ込むためには拳銃を使用して威赫射撃をする他ないと判断し、「どかないと撃つぞ」と数回警告した後、左右に大きく揺れていたパトロールカーの後尾の扉から右半身を車外に乗り出して右手で拳銃を持ち腰に構え、僅かに腰をかゞめて立つた姿勢で銃口を上空に向けて一発発砲し、未だ群衆が鎮らなかつたので続いて二発発砲したこと、そのうち一発の弾丸は仰角約一〇度で発射され、東南方約七〇メートル離れた高地で騒ぎを見ていた原告高口の左上腕三角筋部を擦過したため同原告は前記の負傷をしたことが認められ、右認定に反する証人山下勉の証言部分および証人川口昭子の証言部分は信用できないし他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
そこで岡村巡査の拳銃発砲行為の当否および過失の有無について判断する。
前記状況下で行われた岡村巡査の威嚇の目的による拳銃使用は同巡査が自己および森山巡査の生命身体を護るため必要であると認める相当な理由があつた場合であるとともに、当該事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされたものということができるから、発砲したこと自体には責むべき点はない。
然し乍ら右のような威嚇射撃をするに当つては、パトロールカーが左右に大きく揺れているため極度に身体が不安定となり予想外の方向に飛弾する可能性の大きい状況にあり、かつ周辺には炭鉱住宅の建つ台地もあつたのであるから、岡村巡査としては右状況下にあつては拳銃の発射に当り他人に危害を加えない様充分注意して仰角を保ち発砲すべきであつたものである。
然るに不自然な姿勢のまゝ、動揺しない地面におけると同様の構えで撃つても事故が生じないと軽信して発砲した結果、原告高口を負傷させたことについて、同巡査は発射に当つての具体的拳銃操作について過失があつたものということができる。
従つて福岡県は右岡村巡査の使用者としての地位にあるから結局被告は同巡査の職務執行上の過失により生じたものというべき原告高口の負傷により蒙つた損害についてその賠償の責を負わなければならない。
次に右高口の負傷による損害額については右高口に対し被告の支払うべき慰藉料の額は諸般の事情を考慮して一〇〇、〇〇〇円をもつて相当であると認めるが、同原告主張の治療費等の支出による支出金額相当の損害発生の事実についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
そうすれば被告は同原告に対し、右金一〇〇、〇〇〇円及びこれに対する損害発生後であり本件訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三六年三月五日以降完済に至るまで年五分の割合による法定の遅延損害金を支払うべき義務がある。
よつて原告阿具根、同吉田及び同下田の本訴各請求はいずれも失当としてこれを棄却すべく、原告高口の本訴請求は右義務の履行を求める限度においてこれを正当として認容し、その余を失当として棄却すべきものとし民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項但書により主文のとおり判決する。
(裁判官 安東勝 渡辺惺 蜂谷尚久)